組織概要・沿革・定款等

組織概要

名称 公益社団法人 日展
所在地 〒110-0002 東京都台東区上野桜木2-4-1
電話/FAX 電話番号:03-3821-0453 / FAX番号03-3823-0453
代表者 理事長 宮田亮平

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沿革

明治40年 美術審査委員会官制が制定され、これに基づき、第1部(日本画)、第2部(西洋画)、第3部(彫刻)の3部制により、文部省第1回美術展覧会(文展)が開かれ、大正7年第12回文展まで続けられた。その間、第6、第7回文展において、第1部は、第1科、第2科の2科制であった。
大正8年 新たに帝国美術院規程が制定され、帝国美術院第1回美術展覧会(帝展)が開かれ、大正12年の関東大震災の年を除いて、昭和9年第15回帝展まで続けられた。その間、昭和2年より第4部(美術工芸)が設けられ、また第2部の中に、創作版画が加えられた。
昭和10年 新たに帝国美術院官制が制定され、新規定の交替制によって、日本画、彫刻(木彫)、および美術工芸の改組第1回帝国美術院展覧会が年を越した昭和11年春に開かれたが、1回限りで廃止され、翌年に開催されるべき西洋画、塑造、美術工芸の展覧会は実現をみなかった。
昭和11年秋 美術展覧会は文部省主催に変り、文部省美術展覧会が、鑑査による展覧会と、招待による展覧会に分けられて、相次いで開かれた。
昭和12年 新たに帝国芸術院官制が制定され、改めて第1回文部省美術展覧会(新文展)が開かれ、昭和15年、紀元2600年奉祝美術展覧会が開かれた年を除いて、昭和18年第6回(新)文展まで続けられた。 昭和19年には、美術展覧会取扱要綱によって、一般公募の美術展覧会は禁止されたが、文部省主催により、戦時特別美術展覧会が開催された。
昭和21年春 文部省主催により、第1部(日本画)、第2部(西洋画)、第3部(彫塑)、第4部(美術工芸)の4部制によって、第1回日本美術展覧会(日展)が開かれ、同年秋第2回日展を開いて、以後毎年回を重ねて、昭和32年第13回日展まで続けられた。その間、昭和22年に、帝国芸術院は、日本芸術院と改称され、昭和23年第4回日展は日本芸術院主催に変り、これまでの4部制から第5科(書)を新設して5科制に改められた。昭和24年新たに日本芸術院令が制定され、また同年、日本芸術院会員の有志によって組織された日展運営会が設立されて、第5回日展より第13回日展まで、日展は日本芸術院と日展運営会の共同主催であった。
昭和33年 日本芸術院と分離し、4月26日に社団法人日展を創立。完全なる自主的経営機関として、改めて第1回日本美術展覧会が開かれ、昭和43年(第11回日展)まで続けられた。
昭和44年 役員改選を機に従来の日展の展覧会名称を改組日展と改め、改組第1回日本美術展覧会として開かれたが、翌年の昭和45年、「改組日展」の展覧会名称を再び「日展」と改めて第2回日展を開き、平成25年(第45回日展)まで続けられた。
平成24年 公益法人制度改革に伴い、内閣府より公益社団法人への移行認定を受け、4月1日より「公益社団法人日展」として新たに出発した。
平成26年 組織改革に伴い日展の展覧会名称を改組 新 日展と改め、改組 新 第1回日展として開かれることになった。
令和5年 明治40年の第1回文展から始まり116年を迎え、第10回日展が開催される。

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定款

公益社団法人日展 定款 (PDFファイル 283KB)

規則

公益社団法人日展 規則 (PDFファイル 233KB)

公表

「国と特に密接な関係がある」公益法人への該当性について(公表) (PDFファイル 58KB)