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デザイナー コシノジュンコ×日展理事長 宮田亮平
「美しいものは、人をポジティブにする」【前編】
2023年11月、第10回日展を記念して、国立新美術館にて、世界的なデザイナー、コシノジュンコさんをお迎えし、日展宮田亮平理事長と対談を行いました。話は、東京藝術大学学長時代の二人の出会いからはじまり、コシノジュンコさんの奇想天外な仕事ぶり、芸術を志したきっかけ、心がけていることなど。ポジティブなパワーに満ちたアクティブな活動を、数々のショーや展覧会の映像で紹介しながらの軽妙なトークに、会場はおおいに湧きました。では、その対談をお楽しみください。
宮田亮平: 世界的なデザイナー、コシノジュンコさん、ご登場お願いします。実はですね、先般このためにちょっとお打ち合わせをしました。あそこは骨董通りですかね。
コシノジュンコ: そうですね。この辺は地元なんです。私は住所がもともとは西麻布1-1なんですよね。だから、この美術館が建つ前からずっとここにいるわけです
宮田亮平: すいませんね。佐渡育ちの私とえらい違いでございます。ところで実はですね。コシノさんが、今日のために私にプレゼントをしてくれたんですよ。おわかりになりません? それでね。サインまでしてくれたんですよ。
コシノジュンコ:このネクタイ、世界で1本です。直接描いたんです。
宮田亮平:でも、ぶっちゃけた話ね。これに合わせて黒にしろって、なんとなく言われるの。黒のワイシャツがないのよ。もう。
コシノジュンコ: はい。
宮田亮平: これがまた、心地いいんですよ。さっき、腕を通してこうやったらね。
コシノジュンコ: 決まりました。先生。
宮田亮平: そう言っていながら、ご自分が全部赤の衣装で来るっていう。裏もしっかり考えてるって、その辺の細やかさというのがすばらしいですね。大胆さと細やかさ、伝統と革新、もうこの2つが非常にうまくいってるということで。よろしく、どうぞお願いいたします。コシノ先生。
コシノジュンコ: 先生っていらないです。私、ジュンコさんでお願いします。
宮田亮平: うわー、もったいない。
コシノジュンコ: もったいなくないです。お願いします。
宮田亮平: ではでは、すいません。ジュンコさん。何しろ、最初にジュンコさんとの出会いっていうのがありましたね。
コシノジュンコ: はい。ある雑誌社の編集長の方が佐渡の方で。佐渡にはね、宮田さんの家族がいらして、代々藝大の人でって、そこから始まって、藝大を案内してもらうことになって。それで藝大に行きました。私も一度行ってみたいなって感じで。うちの子供の小学校の図工の先生まで来ちゃって。そしたら約束したのに宮田先生がいないんですよ。それで、「ごめん、ごめん」ってあっちのほうから自転車でやってくるの、それも、もう学生も先生も変わらないような風貌で。まさかあのおじさんが宮田先生とは思わなかった。それから仲良くなっちゃって。私たちカチカチで行ったんですけど、それ以来、緩みっぱなしで申し訳ありません。
コシノジュンコ 私には前しかない。後ろは全部ゴミ
宮田亮平: そんな出会いがございましてぐぐっと近くに寄って。それでまたすごく嬉しかったのは、フランスで、大変な受賞をなさいましたね。
コシノジュンコ: レジオンドヌールをいただきました。
宮田亮平: フランス大使館でレジオンドヌール勲章を受章される時に、私もご一緒させていただきました。
コシノジュンコ: ちょうどコロナの真っ最中でした。普通はフランス大使館でパーティーもするんです。それがコロナの真っ最中の時だったから、人数決められて。本当だったら100人でも呼べたんですよ。いつもパーティーしますでしょ。ちょうど安倍総理もいらしていて乾杯の音頭をしてくださってね。本当にいい思い出になりました。
宮田亮平: というぐらい、世界の方々に、ジュンコさんのショーは単なるショーではなくて、心をポジティブにするんですね。
コシノジュンコ: そうですね。私、前しかないです。後ろは全部ゴミだと思ってます。
宮田亮平: 聞きました?
コシノジュンコ: ちょっと極端ですか? すみません。
宮田亮平: それでですね。やっぱり僕が非常に感動したのは、先ほどもちょっと言いましたけど、伝統と革新の中でのすごく素晴らしい出会いなんですよ。
コシノジュンコ: はい。
観世能楽堂で能とモードの競演
宮田亮平: GINZA SIXの地下で。観世流の26世、観世さんの宗家と。
コシノジュンコ: 観世能楽堂で「能とモードの共演」ということをやったんです。これはそう簡単にできるもんじゃないんですね。
宮田亮平: いや、できないできない。
コシノジュンコ: 本当なんです。大変レベルが違うというか、感性も違うし、歴史も違うし、すべて違うんですけど、やっぱりね。人って出会いがあると思います。だいぶ前ですけど、『ACT4』という雑誌の編集長が呼んでくれて、その時初めてお能を見たんです。「後からお家元がいらっしゃいますよ」って言われて、「あのお家元にお会いできるんですか」って。意外に気さくですごく素敵な方でね。
宮田亮平: 私の藝大の後輩なんです。学部が違うだけなんです。
コシノジュンコ: そうでしたか。それで私、毎週日曜日夕方5時から、TBSラジオでラジオ番組をやっています。先生にも出ていただきましたが、今まで250人くらいに出ていただきました。全部私の知り合いばっかりで。
人生は実験
コシノジュンコ: それで観世のお家元に「出ていただけますか」って聞いたら「はい」って言うんです。それでいらしたんですよ。大きな荷物を持って。「あのテレビじゃないんで、何か見せるものってラジオは見えないんですよ」って言ったら、ラジオで来たんじゃなくて、私に会いに来たって言うんですよ。考え方すごいですね。「ラジオ出たことあります?」「いいえ、一回も出たことない」。もう全然次元が違う。ラジオやってる最中に風呂敷を広げました。そして、300年前の面(おもて)を私につけていただきたいっていうのだけで来たんですって。私、触るのも初めて300年って聞いただけで、どうしようって感じ。それで、「つける前に『いただきます』と言ってください」。「いただきますって、ごちそうさま、いただくあれですね」。「いいえ、つけさせていただきますと一言言ってください。それでつけるんです」と言われてつけました。すっごい軽くてね。息もできるし、よく見えるしお話もできるんですよ。面白いからつけたまんま、ずっとラジオやったんです。どんなもんかなと思って声がどこまで、だからどんな風になるかって実験的に。私実験が好き。私、人生は実験だと思ってんの。
宮田亮平: 常に最初にやるんだよね。
コシノジュンコ: そうそう。だからつけるってことは私にとってはありえないこと。だから、こんな時にちょっと経験ですよね。で、つけると、息もできるしお話ししやすいんです。
宮田亮平: ああ、そういうもんですか。
コシノジュンコ: そうなんです。それで最後までずっとつけたまんま。つけてる間、考え方が整理されますね。なぜかというと、面の目がこんなにちっちゃいでしょ。前しか見えない、横なんか見えないです。自分の目的しか見えないんです。こっち向くとこっちしか見えない。こっちはもう見えないっていう、なんか考え方だなと思って。
宮田亮平: なるほど。
コシノジュンコ: ごめんなさい。その肝心なところになかなか到着しないんです。
宮田亮平: いやいやいやいや。でも面白いでしょ。皆さんね、一度お面をつけてみたいですね。
コシノジュンコ: 面(おもて)って言いますよね。面。
宮田亮平: ああ、面(おもて)ですね。
コシノジュンコ: それでその時のショーをぜひちょっと10分くらいお見せしたいと思いますので、ぜひご覧ください。
宮田亮平: 「継承される伝統と現代の融合」ということでございますね。
コシノジュンコ: このお能の世界という680年の歴史で、初めてお互いにお会いするわけです。お能が680年も続いてきた理由は、常に新しいものに挑戦してきたから。その間に歌舞伎が出たり、歴史があるわけですけども。なんだってお能から始まりまして。
宮田亮平: プロジェクションマッピングが素晴らしかったんですよね。こうやって映して。
コシノジュンコ: 能楽堂でいわゆるファッションショーをやること自体が全く初めてで。モデルも今日はモデルになって歩くんじゃない。お能をお勉強しましょうねってことで、足袋で擦り足で、ストッキングもダメで、もちろん靴はダメでしょ。だからストッキング滑るからダメなんですね。足袋で、私は黒足袋でちょっと足がチラッと見えるのも嫌だけど、ちょっとブーツみたく長い黒足袋を作りまして、それでショーをさせていただきました。だから擦り足でないとあのパタパタっていうような歩きはダメですね。その裏側で何をしてるか、モデルは一生懸命擦り足をお勉強してるんですよ。それでないと能舞台に上がれないということです。
宮田亮平: 厳しい世界ですね。
コシノジュンコ: 普通は白足袋でしょうけど、白はちょっと目立つので黒足袋に。
コシノジュンコ: 後ろの鏡絵っていうのは本当に立派ですよね。こうやってプロジェクションマッピングがなんかどんどんどんどん変化していきます。やっぱりお能の関係っていうのはあまりこういう実験的なことはしないんですね。
宮田亮平: あまりじゃなくて。全然。初めてですよ。
コシノジュンコ: 全体的に。だから私がやることによって新しい何かが見つかったって言って、お能の関係の方は「こんなことやっていいんですか」って言われて、私の関係もだいたい能楽堂に行ったことがない人ばっかりでお互いに新鮮でした。だから異業種の交流、出会いっていうのは、すごく何か始まりますね。だから怖がっちゃダメだと思うんですね。あのなんていうかな、今までこう経験がないことで、お互いに努力をするし、
宮田亮平: これは私どもの、ものを作る人間にとって共通していることですね。
コシノジュンコ: それであの「目付柱」って、この角にね、柱が本当だとあるんですよ。そこに座ったら運が悪いわじゃないけど、ピタッと見えないときがある。ショーの最後にブワッとこうストールをひるがえすので引っかかったらたいへんだから「これ取れますか」って聞いたら、取りますって取ってくださったんです。
宮田亮平: それを取れって言ったジュンコさんすごいね。
コシノジュンコ: いや言ってみるもんだなと。やっぱり、全て始まりですから。知らないものは知らないんで「ダメです」。「じゃあいいです」って言おうと思ったら「はい。取ります」って。取れるもんなんですね。言ってみるもんだって感じ。
宮田亮平: 本当ですね。
コシノジュンコ: これ雨ですね。やっぱりこの場所で、これだから面白いんですよね。
宮田亮平: そうですね。
コシノジュンコ: そういった伝統を長く受け持っている。そこに一つの違う感性が入ることによって、また何か新しいものが生まれる。お能って言うと、やっぱりどうしても行く方が決まってしまうんですよね。若い人がちょっと敬遠されるというか、だからどんどんこうやってコラボレーションしてやっぱり実験するっていうこと。こういうことってすごくお互いのために発見というか、いい出会いだと思います。
宮田亮平: ねえ。
コシノジュンコ: あの後ろの影がすごく綺麗なんですよ。3人なのに6人で歩いてるみたいで。モデルのビスチェは竹なんです。私ね。あの日本の素材でね。日本人は日本の素材で何か一つあげるとしたら竹だと思うんですよ。例えば衣食住でまずタケノコ食べるでしょ。それで家具でも何でもインテリアになるでしょ。お箸でも竹、衣はないなと思って。衣食住の着るものないなって思ってこれをね。ちょっと言葉のあやなんですけど一回やってみたかったんですよ。全国伝統工芸の審査員をしてましてね。その時。籠のすごい人で毛利さんって方にお願いしたら「やったことないけどやってみる」ってことで。はい。これがパリコレに出ました。
このモデルさんインターナショナルで5位なんですけど、コスチューム賞で1位になったんですね。コスチュームもコンテストなんです。コスチューム1位だからコスチューム見せるにはこの人じゃなきゃダメなんですよ。だから結局本人が5位でも衣装が1位だったから世界中行きましたね。
宮田亮平: そう。そういえば、ミス・インターナショナルも。
コシノジュンコ:一緒にね、ミス・インターナショナルの審査員をしてるんですよ。先生がね、あのとき藝大の学長だったと思うんですけどね。ミス・インターナショナルってみなさんおしゃれじゃないですか。
宮田亮平: 当然ね。
コシノジュンコ: 先生が残念ながら肩の大きい古いジャケットを着てきたからこっそりね。先生ね、一着でいいから勝負してみないかって言って。「勝負します」ってことで私作ったんですよね。
宮田亮平: そうなんですよ。
コシノジュンコ: それからどんどんどんどんかっこよくなって、ネクタイも、これもこれもみんなね。
ファッションは自分への投資
宮田亮平: 馬子にも衣装ってのがよくある。
コシノジュンコ: だからね。私思ったことをつい言ってしまって。ほんとでもあれから勝負服だっておっしゃるでしょ。
宮田亮平: そうなんですよ。
コシノジュンコ: やっぱりね。着るものが決まると、どこ行っても平気ですよね。
宮田亮平: そうですね。
コシノジュンコ: 大切ですよね。私、服はね。服っていうより、ファッションはね。自分への投資だと思うんですよ。
宮田亮平: 投資。
コシノジュンコ: 投資。だから人に投資より自分に投資するのがいちばんいいじゃないですか。
宮田亮平: ねえ。この風を掴んでるっていうのもいいですね。
コシノジュンコ: 空気感がね。歩くと空気が入りますから、エアコートってエアですね。
宮田亮平: いや、鼓なんかの音楽との関係っていうのが、また実にうまくマッチしてますけど、すごいですね。
コシノジュンコ: これはもともとどっからの発想かって言いますと、京都で大琳派展がありまして。京都国立博物館で30万人入ってるの。その前夜祭で、京都府の琳派の関係でちょっと委員をしてたんで何かできないかっていうことで、じゃあ普通のファッションショーやるのは違うなと思って。それでメカニックな照明や音響っていうのは違うので、何にもなくて江戸時代の、だからロウソクって言うわけじゃないんですけども、何にもなくてできるものは何かなと思って。まず音響はこれだと思ってそれでお囃子と出会ったんですね。照明っていうのはもう本当に暗くても見えるので。
宮田亮平: きれいですね。マッピングしながらこの後にスポーンと。
コシノジュンコ: これはあの、観世清和先生のお家元の息子さん三郎太さんって言います。この時、まだ立教大学の学生で、私初めてお会いしたんですけども。先生が新しいものに挑戦したいとおっしゃった意味は、息子さんの三郎太さんにお任せするから面白い役目をしてくださいということだったんです。お能は基本なんですけれども、私なりの新しい何かモードとの接点を作ってくれと。これはスキューバダイビングの素材で作ったんです。先生は潜るの好きでしょ。
宮田亮平: あー、潜るの大好きです。
コシノジュンコ: この上に着ているものは切りっぱなしなんですね。だからこういう素材を使うこと自体がお能の中ではありえないことなんですけども。やっぱり新しいことに挑戦したいというお家元の考えなんです。
宮田亮平: これは拍手ですよね。もう大きな。
コシノジュンコ: 私もでました。それで、メイクしてあの頭でしょ。だから私はいつもだったら背が小さいので高いハイヒールを履くんですけど、能舞台で履けないじゃないですか。しょうがなくて足袋で出ました。
宮田亮平: ねえ。すごいですよね。いかがですかね。はあ。すごい。
コシノジュンコ: 最後にあの、蜘蛛の糸ひきましたでしょ。私、初めて1978年にパリコレをやってそれから22年やったんですけどね。初めてのパリコレで、蜘蛛の糸を松竹の関係の藤波小道具さんに作っていただきました。真っ赤な蜘蛛の糸なんですが、初めてだって言いました。
宮田亮平: あれ白ですよ。
コシノジュンコ: それが赤でやってほしいって無理やり作ってもらったんです。真っ赤な蜘蛛の糸、蜘蛛の糸って言えないわね。火の糸で。それを作ってもらってテアトルパラスっていう劇場で、モデルたちが両手持ってバーンってやるんですけど、高いので練習するともったいないんでぶっつけ本番でした。
宮田亮平: それはすごいです。
コシノジュンコ: そうなんです。私はKENZOさんと同級生でパリへ行くとお互い応援団みたいなもんでKENZOさんとかお友達が上の方で上からブワー、下からブワー、真っ赤っ赤に染めたいと思ってやりました。
誰もやっていないことをやる
宮田亮平: それは見事ですね。常に、常に新しいことをどういうことをされているんでしょうか。
コシノジュンコ: 新しいというか、やっぱり誰もやってないことをやることがいいでしょうね。二番煎じだったらパリコレでも何でも。例えば情報でものを作るじゃないですか。それだと出す必要ないんです。行く必要ないですよ。だから、情報はわかってても自分でしかできない個性っていうかな。それを挑戦する。違いが面白いんで、今日もいろいろ見せていただいて皆さん違うじゃないですか。何かの真似とか、影響とかっていうのは学生のうちはいいんですよ。やっぱりプロになるとダメですよね。そこがやっぱりプロ意識っていうのかな。同じだと思うんです。
宮田亮平: いまちょっと学生のお話をしましたけれども。皆さんご存知の朝ドラであったでしょ。あのお母様の「カーネーション」、あれでもうお分かりかと思うんですけど、お姉様がいらして、ジュンコさんは次女で三女がいらっしゃる三人姉妹。
思ったことを口にする大切さ
コシノジュンコ: うちの母が小篠綾子って言うんですけども。本当に運がいいっていうのか、思ったことを口に出すことはすごい大切ですよ。うちの母は思ったことを本当にすぐ口にする、周りが笑おうが何しようが、口に出すんです。それで、よくNHKの集金のお兄ちゃんが来るでしょ。そういう子にね、「あんたNHKの人やろ。私もあんな朝ドラでられへんか」って言うんですよ。みんな笑う。そんなこと言っても「この子近所の子ですよ」ってね。そうですよ。ああいう人って近くの人がアルバイトしてるんですから。それからだいぶしてまた来るでしょ。「この前、言ってくれたんか」って聞く。「いいえ」。「なんで言ってくれへんの」って怒るでしょ。それから亡くなって、10年も経たないで、7、8年してから「カーネーション」になった。だから本当になるもんですね。言っとくもんですよ。その時笑われてもいいから言っといた方がいいですよ。いつなるか、知らないってだけで。誰が聞いてるか分かんないし、たまたまそういうお兄ちゃんが聞いてなったかどうか、知らないですよ。ま、時が来るんですね。すべてね。
宮田亮平: それが今度は映画になるでしょ。
コシノジュンコ: 実は近々撮るんですけど、映画化されることになったんですよ。それも主役が早速決まりまして、大地真央さん。
宮田亮平: やった。
コシノジュンコ: すごいでしょ。私の役は鈴木砂羽さんで決まりました。
宮田亮平: 興味ありますね。皆さんどうぞ入場券を手に入れてご覧くださいね。
コシノジュンコ: 映画館ですね。
宮田亮平: クランクイン。
コシノジュンコ: 亡くなってもまだまだ運があるっていうか、ラッキーっていうか、ここですね。
宮田亮平: なるほど。
コシノジュンコ: ほんとに、そこがね。やっぱりいい運命って、そういうものなのかなと思います。
宮田亮平: 今おっしゃってることはですね。ちょうどここはいま日展の真っ盛りです。
コシノジュンコ: そうですね。
宮田亮平: 先生方も大勢おいでになってますけれども、本当にあの、私どもにあえてですね。挑戦をしてくれたというよりも、気づかせてくれたというか。よし、またもっともっと行こう、次に行こうっていう気分を、勇気を与えていただいた感じがしますね。
コシノジュンコ: そうなんですか。
宮田亮平: 同時にあのお客様としておいでになっている方も大勢いらっしゃるんですけど。
コシノジュンコ: でも皆さんここにいらっしゃる方は大変芸術に詳しい方ばっかりで本当に特別な、あの選ばれたお客様だと思います。
宮田亮平: 日展ファン。
コシノジュンコ: そうですもん。日展をよくご存知っていうか、わからないのは私ぐらいで、本当にここに座ってるだけなんですけどね。
宮田亮平: とんでもない、とんでもない。そんなことはないです。それで何から話していいかわからないぐらい山ほどあるんですけども。
コシノジュンコ: あべのハルカスの話よろしいですか。
宮田亮平: あべのハルカス美術館もいいんですけどね、僕はね。停電になった話、あれがいい。
パリコレのショーの最中、停電に
コシノジュンコ: 私ね。パリコレ22年やっています。それでパリって、荷物を持って行くだけで、ちゃんと到着するだけで、ショーの成功の半分だと思います。やっぱり現地でやる人とはそこが違いです。まずストがあるんですよ。ダンボールを十いくつも大変なんですけども、持って行っただけで半分は成功なんですけど、一番大変なのは、何あるかわからない。日本と違って治安の問題もいろいろあるんですけど、一番大変だったのはね。当時、チュルリー公園っていうところで、皆さんテントで順番にやっていくんですね。そしたら突然すごい大雨になっちゃって、もうダダダーって音がすごいんですけど、そこで停電になっちゃったんですよ。停電になったら最悪ですよ。だって真っ暗になって、もう見えないじゃないですか。急遽停電っていうのは思ってもみないんです。それで普通、カメラマンはよっぽど良くないとシャッター押さないんです。プロだから、全部押してたらキリがないし、本当にこれだと思うのはシャッター押したら絶対にどっかに出ます。でもなかなか押さないんですよ。フラッシュの数で「あ、成功したんだな」ってわかるんですよ。手を叩く拍手ではないんです。カメラマンは拍手できないからフラッシュの数なんです。その時停電したでしょ。全員がフラッシュたいてくれたの。
宮田亮平: はあ。
コシノジュンコ: だからそれでショーやったんですよ。だからすごく綺麗でした。パタパタパタって。
宮田亮平: 前向きだしプラスだし。
コシノジュンコ: それだけみんながシャッター押してくれたわけだから、私はついてるなと思いました。
宮田亮平: いや、いや、ついてるっていうか、持ってるんですよ。
コシノジュンコ: ラッキー。だけど、どうしようと思います? 真っ暗になって音楽ないんですよ。音がないからただ黙々と歩く。変な感じですからね。ストロボみたいで、パッパッ、パッパッとなる面白いです。面白いんですよ。モデルの歩きがユニーク。
宮田亮平: さっきのプロジェクションマッピングより良いかもしれない。
コシノジュンコ: ミャンマーで私はショーをやって。ミャンマーって1日5回ぐらい停電するんですよ。本当に。でもう停電に慣れてるんですよ。5、6分なんだけど、長く感じるんですよね。1日何回も。だからエレベーター乗ると怖いんです。エレベーター乗ってる最中、停電になったらどうしようと思うから、もう歩きますって感じで、わかってるフランス人の記者の人がわかっていて帽子にライトをつけてるの、いつ停電してもいいよってミュージアムですよ。それでね。あの私はショーをやることになって、あのまあ私のショーは「絶対停電にならないように、どっかの村を消してその電力をもらうから大丈夫です」って言うのに停電になっちゃった。やっぱり信用したのがまずい。停電になっちゃったんですよ。
宮田亮平: もう慣れてるわけね。
コシノジュンコ: 向こうの人は平然としてる。当たり前なんですよ。騒ぎもしない。モデルは日本から行った少人数のモデルと向こうでオーディションしたモデル。向こうの人は当たり前のことなんですが、日本からの人は、やるんですか。どうするんですかって騒ぐわけですよ。でもミャンマー側は平然と暗い中歩くんです。だんだん見えてくるんですよ。あの感じ。
宮田亮平: 人間の目ってね。
コシノジュンコ: そのうちついたんですけど、いつつくかわかんないからね。いい経験あります。
岸和田高校時代に美術部でデッサンを
宮田亮平: いい経験といえば、やはり若い時に美術系の大学に行きたかったんですね。
コシノジュンコ: 大阪府立岸和田高校なんですけども、美術部で、美術の先生がよかったんですね。それこそヌードデッサンというか、あの裸婦のデッサンを黙々と描いて、なぜかって言うと、姉は長女だから、家の跡継ぎ、私は自由だから絶対に美大を頑張るわっていうことで、黙々と、もうとにかくデッサンと油絵をやってましたね。だから私あべのハルカス美術館で今度、集大成の展覧会「原点から現点」をやるんですけど。
宮田亮平: 原点から現点。原点っていうのは、原っぱのほうですね。
コシノジュンコ: 原っぱと現代の現ね。その原っぱの原は、私にとってはデッサンなんです。
宮田亮平: なるほど。
コシノジュンコ: デッサンは必須ですから。自分で言うのも変だけど死ぬほど描いたから。基本的にデッサンですよね。だから私デッサン力ってすごく重要、基本だと思うんですね。だからファッションであろうが何であろうが私デッサンかなと思うんです。
宮田亮平: なるほど。
コシノジュンコ: はい。ファッションの方に行くつもりなかったから黙々とやってて、だからそういうデッサンが基本になっているから、東京に来て文化服装学院に入ってそういう絵のスタイル画の授業もあるんで、その時、私は即助手をやったんですけど、みんな円がね、元通りの円に描けないっていうの知らなかった。当たり前でしょ。真っ直ぐの線、ぴゅっと描いて終わりでしょ。うにゃうにゃうやってみんな上手に描けない。だからやっぱりそういうのが長くデッサンをやってた甲斐があったのかなと思います。
宮田亮平: 原点ですね。いわゆる人間で言うならば、背骨がきちっとあるからこそ。
コシノジュンコ: 基本ですね。
宮田亮平: そう、だからこそまた直線も描けるけど、あの禅宗の世界にもあるじゃないですか。円相というのがね。あれもやっぱり心が乱れててはいけない。
コシノジュンコ: 心ですね。
宮田亮平: それと同時にきちっとした神経、精神を持ってないと直線も引けないということになるのが、ちょうどファッションの世界に変わっても、
コシノジュンコ: いやどんな世界でも一緒だと思います。何をやろうが一緒だと思う。やっぱその、だからデッサンというか、美術の方からファッションに入った人ってなかなかいません。
宮田亮平: そうですね。
コシノジュンコ: そうなんです。当たり前だと思ってたんです。考えてみたら意外にいないもんだなと思います。いろんなデザイナーいますけど。あの、いませんね。だから私は知らず知らず、その道から始まったんですけど、結果的にこう長く続けていかれるのがそこかなと思いますね。
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