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2024年 理事長と語ろう!
気鋭作家5人が語る日展【前編】

日本画 岩田壮平、洋画 田中里奈、彫刻 宮坂慎司、工芸美術 武田司、書 鹿倉碩齋

 2024年7月30日、上野の日展会館にて、日展の新進気鋭作家、日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の部門からお1人ずつ参加いただき、宮田亮平理事長と対談を行いました。会場には、6名の作家の作品が展示され、各作家から作品紹介の後、これまでの軌跡や日展との関わり、今後の日展に期待することなど、なごやかな雰囲気のなか、さまざまな話が展開されました。そのなかから一部をご紹介いたします。

宮田亮平:こんにちは、日展の理事長の宮田です。今日は素敵な新進気鋭の日展の作家5人の方に、明日の日展をどう考えるかと同時にご自身のいろんな人生観のお話などをお聞きしたいと思っています。まずはご自身の作品を紹介いただきましょう。

では第1科日本画の岩田壮平さんからスタートしたいと思います。
赤がいいね。この赤って難しいよね。

岩田壮平:そうですね。赤はたくさんの種類があり、グラデーションに分けて20 色ぐらいを混ぜ合わせながら使っています。

宮田:作品の中で赤のユニークな違いがきちっと出ているってすごいことだね。

岩田:恐れ入ります。日本画の描き方の中で、伝統的な色で「垂らし込み」というのがあります。俵屋宗達とか、琳派の作家たちがよくやっていた、絵の具を溜めた中に、少しずつ違う色を垂らし込んで、これを繰り返していくんですが、この赤い花弁のパーツの中に、違う赤を少しずつ重力に従って流し込んで、大気の力で乾燥するのを待つんです。なので、自分の力だけでグラデーションを作るというよりも、その時の湿度や重力、自然の、神さまとの共同作業をしている、その積み重ねみたいなもので描いていくわけです。

宮田:題名が「ハナトカヂツ」ってことは、これはザクロ?

岩田:ザクロと椿、薔薇などのモチーフです。去年、髙島屋さんの秋冬春にかけてのメインビジュアルに使っていただきました。お歳暮や電車の中吊り広告などでもご紹介いただきました。

宮田:日本画で風景画を描くという、いわゆる概念的なものから外れて、もっとポピュラーな感じでグッとひきつけられるね。

宮田:次は第2科洋画の田中里奈さん。キャンバスに描く洋画の印象とちょっと違うんだよ。とにかく実にダイナミックで素晴らしいな。華奢な女性がこんなすごいことやるんだと思って。田中さんは版画なんですよね。

田中里奈:はい。木版画をやっているんですけど、これは河口湖の富士山です。私はいろいろ分割したり、紙に刷る前に汚しをしたり、ただ版画の硬さだけというよりも筆を入れて表現することが多いです。

宮田:木版画ってことは、例えば代表的なのは棟方志功とか。

田中:そうです。たぶん小学校でみんな経験するのかなと思います。

宮田:木はどんな木?

田中:ベニヤの合板を使っています。あまり細かい作業をしないのと、一番安いので。桜の木はちょっと高いです。

宮田:例えば浮世絵の北斎は桜が多いんですよね。ベニヤでもシナベニヤだからとてもやりやすいね。なぜ木版画にしたの?

田中:彫ったり工作も好きなんですけど、和紙や木、バレンも竹の皮など自然なものが多いので、その組み合わせや素朴な感じが好きです。前は、もっと日本的なトーンの落ちた色が多かったんですけれど。

宮田:素朴って大事だよね。ということは、いろんな要素を削ぎ落としていって、自分の心象風景をバチっと画面に出したいということなんだよね。

田中:実は板に直接下描きをするんですけど、版画だから反対になるんですね。だから大作のときも、逆に刷り上がるように描くので、それだけがちょっとだけ難しいかな。

宮田:難しいね。そういえば、名前を一生懸命彫って、刷ったら裏返しだったっていう懐かしい経験がありますね。逆に反転された面白さというのはありますね。

田中:はい。あります。アンバランスのバランスみたいな、利き手じゃない、そういう感じ。

宮田:それって予測してる話、偶然の話?

田中:だんだんわかるようになりましたが、予測しないところもあります。けっこう刷り上がらないとわからない。

宮田:それもすごいですね。陶芸で窯からあがらないと全貌が見えないみたいな。そういうスリリングさがあるんですね。

宮田:それでは第3科彫刻の宮坂慎司さん。さあ、この作品はどういう?

宮坂慎司:はい。彫刻は彫るとか、削る、刻むという言葉ですが、この作品の場合、元々は粘土を芯材につけてモデリングをしながら作っています。粘土はそのまま置いておくことができないので、そこから型を取る。で、最終的にはセメントに砂の入ったモルタルが素材となっています。

宮田:よく彫刻というと最終的にはブロンズにするという。その原型と考えてもいいんですか。というよりも、これが一つの完成ですか。

宮坂:そうですね。粘土の素材による完成というのはあって、そこから型を取って石膏とかモルタルにしてみると、また硬さとかが変わるわけです。この作品は、3年くらい前に手を入れ始めていて、ブロンズにしたいなと思ってたんですね。ちょうどここに持ってくることが決まったので、これを機に仕上げたいなと思って一昨日ぐらいまでガリガリしながら水で濡らしながらまた色を付けていました。なので触ってみるとまだ湿っている感じがする作品です。

宮田:うん、湿ってる。逆に生きてる感じが、生命感がありますね。

宮坂:はい、そう言っていただけると、すごく私も励まされる思いなんですけど、彫刻って作品との距離が最も近い芸術じゃないかなと思うんで、常に見えないところは形を触りながら確かめていて、物と形と素材とずっと対話をしている形で、そのものが生きてるんじゃないかという思いを抱くこともありますね。

宮田:いいね。そういえば会場で「触っていいですよ」という作品もありますよね。それはすごく大胆な発想だと思うんですけれども、これは女性のトルソーのようにも見える。

宮坂:はい。まさしく女性のトルソーで、イメージはダンスをしているドレスの形なんですね。彫刻を見る際に、多くの方がまず「表情がいいですね。手先がすごく語りますね」と言われるんですが、私の場合は「個人」をどんどん消しながら、単なる人の「存在感」が残ればいいなと、で、ちょうどダンスをしている映像を見た時に動きで舞っているドレスだけでも、誰なのかわかるんじゃないかなと思うことがあって。

宮田:で、これは?

宮坂:singing shellというシリーズで、「歌うように」ということが一つと、shellというのは「存在感」を、肉体を作るというよりも、外からその人を表せないかなというところです。

宮田:この辺が彫刻家の面白いとこだね。フラメンコで素敵な女性がドレスをパーッとやったような印象に見えてきたね。見ていていろんな思い出や人生観みたいなものがこの中に写し込んでいける雰囲気があって、いいね。

宮坂:そう言っていただけると、ほんとに自分も新しいヒントをいただける気がします。

宮田:第4科工芸美術は7つ、8つくらい色んなジャンルの違いがありますが、今回は漆芸、漆の世界の先生をご紹介しましょう。武田司さんです。お父様も漆の作家ですね。

武田司:はい。小さい時から、父の作品が出来上がっていく工程を見て育ったので、大人になってそのままやりたいことをしてしまっただけという、そういう形で今に至りました。

宮田:漆は、日本の代表的な素材の表現で、JAPANというのは漆ってことでしょ。興味深いんだよね。これよく見ると螺鈿ですか。

武田:そうですね。素材を生かして作る平面作品というのが漆の醍醐味だと思うんですが、日本画や洋画のようにたくさん色があるわけではないので、いかに金属や貝、卵殻などの色を生かしていくかが見せどころかなと思っています。

宮田:この中にはすごい技法がいっぱい入ってますよね。これは金蒔絵ですよね。蒔絵といえば、今年は1月1日にたいへんな能登半島の地震がございましたね。漆の技術を絶やさないようにまた元に戻っていただきたいという思いがありますよね。この葉っぱが波打っているのは大きな意味があるのですか。

武田:《涵》という題名は「雨水涵養」という熟語で、雨が降って染み込んで地下水ができるという、自然の大きな循環をテーマにしているんです。いろんなことが染みわたっていくような、そういう気持ちで作らせていただいて、私の作品の特徴としてこの錆上げレリーフを必ずいれるようにしています。

宮田:錆上げ?

武田:錆漆の錆上げという技術があって阿修羅様の造形と同じ素材なんです。

宮田:阿修羅の?

武田:そうです。乾漆彫刻って、昔からあるので。漆は超フラットな世界なんですが、少し肉上げをすることで迫力を出すというのが私は好きで、あえてその技法を使わせていただいています。

宮田:平面でありながら、レリーフのような。レリーフでありながら深さがあるような。

武田:はい。そうなったらと思っています。

宮田:それでは第5科、書の世界ですね。鹿倉碩齋さんを紹介させていただきます。さて、これは多聞。多く聞くということ?

鹿倉碩齋:はい。「多聞」とは正しい教えを多く聞き、それを心にとどめるという意味があります。

宮田:僕は少し字を書くんで、すごく書が好きなんですよ。これは多ですね、これはわからんのよ、どのへんからきてる?

鹿倉:どうしても、どういう字で何が書いてあるんだろうって最初に思われて、書が芸術から少し離れてしまうイメージをお持ちの方が多いと感じています。それを払拭したくて、古代文字、図象に近い文字を使って、感じてもらう作品を僕は作りたくて、篆書という書体を用いて制作しております。

宮田:このなかであなた的にはどこに焦点をあてている?

鹿倉:聞くという漢字、耳で聞く。ちょうど僕が一番激しく書いてるところなんですけど、この部分ちょっと耳に見えませんか?

宮田:渇筆のところですね。

鹿倉:絵で考えていただくと、耳の形に見えてくると思います。

宮田:なるほど。あと門構えが周りにあるのね。興味深いですよね。この機会に書がもっと、身近なものになってくれるといいね。

芸術の道を決断する

宮田:さあ、皆さん、そもそも芸術家になろう、芸術の道で俺は一生を全うしたいという決断をしたのは、どんな時ですか。これは結構ね。多くの方が大変興味をもっています。ぜひ聞かせてほしいなと思います。

岩田:元々私は3つのときから、大学に入るまで生け花をやっていました。四季に合わせて軸や絵画を掛け替えたりするのも好きで、今もモチーフは花が多いのですが。美大を受験するときに、生け花の近くにあった掛け軸や日本画作品などに携わってみたいと思って大学に入りました。最初は描いてみたいという思いだけで、作家を意識したのは大学3年生くらいです。それまでは自己満足でやっていましたが、初めて作品を通して人とのコミュニケーションが始まったところからです。

宮田:でもその最初にお宅が生け花の?

岩田: 3歳から習い事を始めるというのがうちの決まりみたいになっていたのですが、元々子どもの頃に咲いている花や花屋さんの花とかを欲しがるような子だったみたいで、そうすると習い事を始めさせるのに生け花がいいんではないかと。池坊さんのところでお世話になって。大学を受験するまではそこにいたんです。それで美大を受験する時にどっちの道に行くか悩んだんですよ。ただ、今までやってみたことのないことをちょっとやってみたくなったんです。

宮田:憎いね。

岩田:一番親しみがあった日本画に入って。で、その後、生け花と両方できたらいいと思って、生け花の先生にその話をしに行くのですけれども、「二足の草鞋はダメだ」と。「あなたは日本画に決めたんだからまずそっちに行きなさい。そっちを極めることが大事だ」と言われて、それがきっかけで日本画の作家としてやっていくことになりました。

宮田:なるほどね。ある意味では勇気のいる、20代前半ですよね。そういう出会いの中での一言一言っていうのは大きく左右するんですね。

岩田:そうですね。その時は大きくガンと来るというよりも、ああそういうもんなのかなというぐらいでしたけれども、後々大きな言葉になって意味があるとわかるようになってきました。

田中:私は美術がずっと好きで、中学・高校は図工クラブや美術部で、普通に一般の大学受験をしたんですけど、落ちて浪人中に、地元の市展で初めて自分の好きな版画で小さな賞をもらって、あまりにも嬉しすぎて、急に受験よりもそっちに自分は行こうと。親からはだいぶ反対されました。

宮田:それは結構、重要な引っかかる話だね。そこをもうちょっとしゃべってもらうといいな。

田中:美術で生活するのも大変と聞いていて。親からは「じゃあ大学へ行って両方やっていったら」と言われたんですけど、私は初めて自分の好きなことで評価をされたということで有頂天になってしまい、一つのことしかできないので、大反対を押し切って「もう美術のほうに行きます」と。「それなら学費なり自分で全部やってください」と言われ、専門学校に行ったんですけど合わなくて一年もたなかったですかね。すぐ辞めてしまって。今私がついている師匠は、ちょうど高校の時の美術の恩師だったんです。その先生にずっとついて今まで。だから版画はわりと独学です。一応ここまで来させてもらいました。

宮田:人生って面白いね。ちょっとしたきっかけが大きく、すごい話ですよね。岩田さんの師匠が生け花と絵画の分かれ目を作ってくれたことと、ある意味ちょっと似てるのかな。親に反対されると、逆に「この野郎。やったるで」みたいな気持ちになりますか。

田中:はい。プチ家出をして、「もう私は美術のほうに行くという意志は変えないぞ」と示しました。

宮田:今お二人の話をお聞きしてて、やっぱりそこにちゃんと自分っていうものがあるんだよね。ブレないで現在までいられるっていうのはとても大事なことで、いろいろな人にそのことが影響するんじゃないかなと思いまして、とても嬉しいですね。ぜひどんどん前へ進んでいってくださいね。

宮坂:私は芸術に詳しい人間が周りに全くいなかったんですね。ただ自分は絵を描いたり、版画で何か彫るとか手で作るのがすごく好きだったんです。ただ、その道に進むというイメージが全くないまま過ごしていて。で、いよいよ進路を決めなきゃいけないというとき日本では大学受験というすごく重たいイベントがあって、3年生の11月の終わり頃、大学受験のための調査書を高校にお願いするので、どこどこを受けるからという親名義の書類を高校に出さなければいけなかったんですね。その時これで一生が決まるのかと重く捉えたんですが、何か物作りになりたいなとふとそこで思って。
じゃあ、芸術で何が一番好きかといったら、彫刻だったんですね。尊敬している芸術家を挙げてくださいと言われると、私はもうベタベタに今でも「ミケランジェロが好きです」と言ってしまいます。全くあてはなかったんですが、とりあえず人一人ぐらい生きていける時代かなと、18歳で彫刻家になろうと何のストーリーもなく決めて。そこからずっと今あるかたちですね。

宮田:ミケランジェロに惚れたなんて憎いね。やっぱり渇望していると、そこで出てくる何かのきっかけが、ググっと自分に一歩踏み出させることになるんだよな。僕は渇望しない自分は嫌いなんだよね。欲張りじゃなくて渇望している自分を満たしたいという気持ちがある。それがちょうどミケランジェロとの出会いだったかもしれないね。

鹿倉:僕は両親の反対とかはなく、昔から「読み書きそろばん」というように、書はかなり身近なものでした。両親が子供たちにはきれいな文字を書いてほしいという願いで教室に行かせてくれた。また僕は左利きだったので、右利きに直すために文字は右で書くものだという母の思いがあったのだと感じています。


宮田:ちょっと古くない?

鹿倉:昭和の生まれなんで。だからもう3歳からお習字教室に行って、小学校の文集にも書道の先生になりたいって書いていました。何も迷うことなく大学は書道の有名なところに入ろうと決めて、そのまま突っ走ってきた感じですが、ある意味ガラッと変わったことは、小学校から中学校までは書写書道といって文字をきれいに美しく書くという世界が、高校生の時に芸術書道に変わり、何がいいのかわからない状態になりました。大学時代には師匠と出会って、わからないことが楽しくなり、ただ夢中に文字を書くのが好きでずっとここまで来たという感じですね。

宮田:ちょっと、わからないのが好きってどういうこと?

鹿倉:例えば勉強だったら方程式を覚えたら解けてしまう。知識も何か本を読めば自分のものになってしまうのですけど、芸術、技術ってなんかこう、なかなか。

宮田:方程式がない。

鹿倉:そうですね。それにもがき苦しむことが楽しくて、ちょっとできるようになったら、また次はこうしたいという。

宮田:自虐的なの?

鹿倉:芸術家って、みんなそうなのかなと。

宮田:いや、一緒にしないで。ああ、そう。面白いね。ご家族とかも書家でいらっしゃいますか?

鹿倉:いえ。両親は字が下手で、本当に恥ずかしい思いをしたから、子供だけはある程度しっかりした字を書けるようになってほしいって。たぶんそれだけで始めたもんですから。

武田:すごく前向きなお話が多かったので、言いづらいんですけども。私は父が同業者で家の中に当たり前に制作者がいて。小さい時から父が作っている横でお絵描きして遊んでる。もちろん小学校の時は図工の時間が一番好きで、選ばれると嬉しかった。そしたらそのまま行くと思うじゃないですか。だけど、怖くて「なりたい」と言えなかった。

宮田:あ、そう。

武田:作っている時の父はすごく生き生きしているんだけれど、最初の構図を考えている時って、すごく偏屈で近寄れなくて、元々それが気になっていました。大人になればなるほど、とても自分には無理と思っていたんです。けれども、美術の世界はものすごく好きで、学芸員になろうと思い立って、実作者をサポートする立場なら近くで見られると思って美学科に入ったんですが、大学三年の時に父が病気したことがあって、たった一年日展に出せなかったことをものすごく悔しがっていたんです。病室で下図を一生懸命描いて。
でもよくよく考えたら、もっと年を取ったらできなくなるときが来るんじゃないか、漆芸は関東では周りにいないので、私が覚えたら手伝ってあげられるんじゃないかなと思った。退院してすぐ「ちょっと技術だけ教えてもらおうかなって思うんだけど」と父に言ったら、大喜びしちゃって。

宮田:実は言えなかったんだろうな。

武田:その気になったかと思ったんじゃないですか。うちの母は困り果てて、家の中に2人もやめてくれって。結果的に大学4年が終わる時に就職と進学と作家の道でどうしようと思った時に、父が「みんな卒業制作っていうのを作ってるんだよ。こういうのをやる人はね、そのつもりでやっちゃえ」って。でその気になって、この道に入り、今までずっと続けてきたという、ちょっと屈折しているんですけど。

宮田:いやいや、屈折までしてない。屈折してるっていう世の中の一般的な常識で言ったら俺たちみんな屈折してる。だからいい、だから個性だね。

プロフィールと掲載作品名

宮田 亮平(みやた りょうへい)
1945年、新潟県生まれ。1972年、東京藝術大学大学院美術研究科工芸(鍛金)専攻修了。1981年、第13回日展「ゲルからの移行『8』」により特選受賞。1997年、第29回日展「ぱーるんぐ」により特選受賞。2005年、東京藝術大学学長。2009年、第41回日展「シュプリンゲン『悠』」により内閣総理大臣賞受賞。2012年、第43回日展出品作「シュプリンゲン『翔』」により日本芸術院賞受賞。2016年、文化庁長官。2023年、文化功労者。現在、日展理事長、日本芸術院会員、東京藝術大学名誉教授・顧問。国立工芸館・顧問。
《シュプリンゲン24-1》

岩田 壮平(いわた そうへい)
1978年、名古屋市生まれ。2002年、金沢美術工芸大学大学院美術工芸研究科修士課程絵画専攻修了。2005年、第37回日展「water」により特選受賞。2010 年、第42回日展「すべての花が開くまで」により特選受賞。2021 年、第8回日展「epoch’20-’21」により日展会員賞受賞。現在、武蔵野美術大学日本画学科教授。日展会員。
《ハナトカヂツ》 

田中 里奈(たなか りな)
1981年、神奈川県生まれ。2014年、改組 新第1回日展「大地の主」により特選受賞。2017年、改組 新 第4回日展「Meal(食卓)」により特選受賞。2022年、第9回日展「語らい」により日展会員賞受賞。現在、日展会員。
《Fuji》

宮坂 慎司(みやさか しんじ)
1982年、埼玉県生まれ。2010年、筑波大学大学院人間総合科学研究科博士後期課程芸術専攻 修了。2013年、第45回日展「yocto」により特選受賞。2015 年、改組 新 第2回日展「yocto-0」により特選受賞。2023年、第10回日展「singing figure Ⅴ」により日展会員賞受賞。現在、筑波大学芸術系准教授。日展会員。
《singing shell-iii》

武田 司(たけだ つかさ)
1992年、跡見学園女子大学文学部美術史学科卒業。2014年、改組 新 第1回日展「繋ぐ」により特選受賞。2019 年、改組 新 第6回日展「白露―玄鳥去る―」により特選受賞。現在、日展会員。
《涵》

鹿倉 碩齋(かくら せきさい)
1975年、鹿児島県生まれ。2018年、改組 新第5回日展「成歡」により特選受賞。2021年、第8回日展「多聞」により特選受賞。現在、大東文化大学文学部書道学科特任講師。日展準会員。
《多聞》

2024年 理事長と語ろう!
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